Knowledge食用馬肉の歴史
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いつから馬肉は食べられていた?
近世で馬肉・馬刺しが広まったのは、加藤清正がルーツがあるという熊本県の俗説が有力です。朝鮮出兵時に食料が底をつき、軍馬を食したことが発端となり、帰国後も好んで馬刺しを食したことから領地・熊本から全国に広まったとされます。仕方なく食した馬肉が存外に美味であり、その豊富な栄養価から滋養強壮剤としての役目も果たしたのでしょうか。
「桜肉」と言うのはなぜ?
馬肉は別名「さくら肉(桜肉)」とも呼ばれ、その由来説も様々です。
鉄分が多く含まれている馬肉は、空気に触れるとヘモグロビンが反応して鮮やかな桜色になります。また切り身を並べると桜の花を連想させるからとも言われます。
水分の多い青い牧草を食べる夏場に比べ、干し草や穀類をたくさん食べて過ごす秋冬を越した馬は、桜が咲く季節には脂が乗って美味しいからと言われます。
坂本龍馬が高杉晋作との酒宴で歌った「咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が騒げば花が散る」という都々逸から「駒=馬に桜」が一対の言葉となり桜肉と呼ばれるようになったと言われます。
詩人の高村光太郎の詩「夏の夜の食欲」の「浅草の洋食屋は(中略)ビフテキの皿に馬肉(ばにく)を盛る。泡の浮いた馬肉(さくら)の繊維(後略)」の一節が元となり広まった言われます。
江戸時代までは仏教思想や贅沢を控える風潮があり、殺生や肉食が禁じられて堂々と肉食ができず、猪はぼたん、鹿はもみじ、馬はさくらと隠語で呼ばれるようになったと言われます。
江戸幕府の牧場が千葉県佐倉にあり、立派な馬を飼育していたことから、「馬といえば佐倉(さくら)」が定着していったと言われます。
明治時代、露天商などで客を装って商品を褒めたりする人を「さくら=偽客」と隠語で呼ぶようになり、牛鍋が流行った際に高価な牛肉の偽客として馬肉が使われたからと言われます。