全国の馬肉文化
みなさん、こんにちは。2017年ブログの更新サボり気味の大阪馬肉屋の喜多です。
2017年2月からは月に2本ずつ馬肉にまつわる記事を書いていきます!←宣誓
当店で扱う馬肉は「 熊本 」と「 青森 」の馬肉ですが、日本には他の県にも馬肉文化が根づいているところがあるのです。今回の馬ログでは、日本各地の馬肉文化をご紹介してまいります。それでは早速見ていきましょう。
■熊本県
「馬肉」「馬刺し」と聞くと【 熊本 】と思い浮かべる方がほとんどでしょう。馬肉が食文化として深く根づいているのが熊本県です。馬肉の生産量も全国1位で生産量2位の福島県以下を大きく引き離す生産量です、熊本県は正に馬肉の聖地といっても過言ではないでしょう。また熊本は馬刺しだけでなく、馬肉全体が好まれており生産した馬肉を県内で多く消費している。
では、なぜ熊本県がこれほどまで馬肉文化が根づいているのだろうか。1番有力な説が【加藤清正】が広めたという説である。
●加藤清正とは
加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名である。肥後熊本藩初代藩主である。豊臣秀吉の家臣であり、秀吉に従って各地を転戦し功績を挙げ、肥後北半国の大名となる。ですので今から約400年前の熊本県の大名ということになります。
ではなぜ加藤清正が馬肉を広めたのでしょうか。それは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、現地で苦戦を強いられ食料も兵糧も尽き、生き延びるために食べたのが「死んだ馬の肉」だったのですが、この時食べた馬肉が思いのほか美味しかったことから、帰国後に広めた。という説が有力です。
加藤清正が治めていた当時の熊本は食料の生産にあまり恵まれなかった土地ということもあり、馬肉文化が一気に広まったようです。
●熊本馬肉の特徴
熊本県の馬肉の特徴は「サシ」の旨さが挙げられる。「サシ」とは簡単にいうと霜降りのことです。
馬肉の大きな特徴として脂があっさりしていることが挙げられる。馬肉の脂についてはコチラの記事をどうぞ【 馬肉の脂の健康効果 】
熊本県の馬肉は重種馬が主であり、「サシ」の旨さを追求した馬肉が生産されている。もちろん霜降り肉だけでなく、赤身の馬肉も生産している。
●熊本県産?カナダ産?
「熊本県産」と表記できる馬肉は年間200頭もいない。需要が多いため、カナダや北海道で産まれた馬を熊本県内で一定期間肥育し出荷します。平成16年までは国内で3ヶ月以上肥育すれば原産国は日本になるという法律でしたが、平成16年のJAS法改正で「最も飼養期間の長い場所を原産地として表示すること」になりました。簡単にいうと【どちらの国で長く肥育されたか】が原産国表示の基準となったのです。
ですので、熊本の馬肉は「カナダ産熊本肥育」と表記されることが多いです。当店の馬肉もこの「カナダ産熊本肥育」の馬肉を扱っております。
ただ「カナダ産熊本肥育」だから味や鮮度が落ちるということは全くありません。熊本県の畜産家の方々は肥料等にこだわりを持ち高い技術力で肥育してますので、味や鮮度に問題はありません。
●まとめ
・馬肉の生産量全国1位の馬肉王国
・熊本産の馬肉は非常に少なく、多くはカナダから輸入した馬を熊本県内で肥育して出荷する「カナダ産熊本肥育」という表記が多い、当店の馬肉もカナダ産熊本肥育である
・熊本の馬肉文化のルーツは「 戦国武将 加藤清正 」が有力
[ 参考画像:馬刺し 極上霜降り(カナダ産熊本肥育)]
■福島県
熊本に次ぐ馬肉の生産量2位なのが福島。特に有名なのが会津です。国産・軽種馬の「赤身肉」が福島・会津の馬肉の特徴です。
福島県と馬肉と言われてピンと来ない方も多いと思いますが、実は生産量は全国2位なんです。福島県内の会津若松や喜多方などの会津地方で馬肉文化があります。
●会津の馬肉の特徴
会津の馬肉の特徴は「赤身」が主流だということ。熊本県の馬肉が重種馬を使用した「霜降り」の文化なのに対して、会津の馬肉は軽種馬の「赤身」が主流である。
また馬刺しを食べる際に使用する薬味にも違いがある。熊本は甘めの九州醤油ベースのタレにおろし生姜を入れて食べるのに対して、会津では醤油に専用の辛味噌を溶いて食べるのです。この辛味噌は唐辛子やにんにくなどで作られており、あっさりとした赤身肉のうまさを引き立てる。
●ルーツは力道山!?
会津の馬刺し文化のはじまりは、なんと「プロレスラーの力道山」と言われています。1955年(昭和30年)9月1日「会津馬刺し発祥の店」とされる会津若松市西七日町の馬肉販売店「肉の庄治郎」に力道山が来店し、「おやじさん、そこにつるされている馬肉を生でくれ」。と言い、自ら持参していた辛味噌で馬肉を食べたのです。それまで会津には馬肉を生で食べる習慣がなかったので、この力道山の行動には当時店主だった故 鈴木清美さんも驚かれたそうです。後日、鈴木さんは保健所に馬肉の生食が問題ないことを確認し、力道山が持参した辛味噌を再現し店頭で販売を始めたのが会津地方の馬刺し文化の始まりと言われています。
●馬肉文化は戊辰戦争から
では馬刺し以前の鍋料理や加熱料理で馬肉を食べる習慣が出来たのはいつごろからなのでしょうか。一説には会津戊辰戦争で負傷した兵士に牛や馬をと畜して食べさせたのが会津地方の馬肉食文化の始まりと言われています。
●まとめ
・馬肉の生産量全国2位
・軽種馬から採れる赤身肉が特徴
・会津の馬刺し(生食)文化の始まりは「 プロレスラーの力道山 」と言われている。
■長野県
現在は馬肉の大きな産地ではない(生産量は全国5位)が、馬肉文化は根付いているのが長野県。なぜなのでしょうか。
●ばくろう
長野県ではもともと、年老いた高齢の農耕馬を馬肉を食べ始めたきっかけと言われています。ですが、馬肉の需要が大きくなるにつれ、農耕馬が減り、長野県の馬だけでは供給不足になってしまいました。そこで、全国の他の地域から馬肉を買ってくるようになりました。その行商人たちのことを「ばくろう」と呼びます。このばくろうが長野県により馬肉を広めたとされています。
●まとめ
・馬肉の生産量は全国5位
・大きな産地ではないが馬肉文化が根づいている
・行商人「ばくろう」より馬肉文化を根づかせた
■青森県
当店でも販売している青森県の馬肉。青森県では一体どのようにして馬肉文化が広まっていったのでしょうか。
●ルーツは鎌倉時代!?
馬肉を食べる文化が広まったのは戦後からと言われています。しかし馬の肥育・生産するルーツはなんと鎌倉時代にまで遡ります。鎌倉時代、源頼朝に仕えていた南部光行が八戸地方に牧場を作り、馬の生産と肥育を始めたことが青森県に馬の肥育のルーツと言われています。また戦時中に軍馬の補充部があり、軍馬の飼育を始めたことで、さらに生産が根づいていったようです。
●青森県産にこだわり
青森県の馬肉は国産にこだわりっています。国産といっても熊本と同じように馬が産まれた国はカナダが多いです。カナダで生まれた、生後15ヶ月~18ヶ月齢の馬を空輸で日本に輸入し、青森県内で肥育しています。先ほど説明したように現在、日本には「育った期間が最も長い場所が産地」という決まりがあります。 青森の馬肉は必ず18ヶ月以上かけて肥育しますので、青森県産の馬肉は国産馬肉となるのです。←ココがPoint+こだわり
●まとめ
・馬の肥育のルーツは鎌倉時代
・国産表記の基準を満たせるように青森県内での肥育期間にこだわりがある
[ 参考画像:馬刺し 特選赤身(青森県産)]
さてさて、今回は馬肉文化が盛んな地域のルーツやこだわりをご紹介して参りました。あっと驚くエピソードもあったかと思います。各地域それぞれのルーツがあり馬肉文化が受け継がれていましたね。
「大阪にはなんで馬肉文化が根付かなかったんだ!」と思っているのは私だけでしょうか?こんなに美味しいなら舌が肥えた大阪のみなさんもきっと大好きなはずなのですが...。これから大阪のみなさんに馬肉の魅力をもっと知ってもらうべくブログの更新とお店の営業もがんばっていきま~す。焼いても、刺し身でも美味しい馬肉がもっと大阪で広まれば良いなと思っている喜多がお送りしました。